nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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ツツジをググると万葉集の魂に触れ、キンモクセイは、職場の加齢臭問題にゆきつく不思議!

ウクライナが、また米国からの追加支援をもらい戦争を継続するらしい。負けるわけにもいかないし、勝たせるわけにもいかないという支援の仕方が、支援というのか疑問である。西側諸国とロシアの間に、ウクライナがあることの方が、クッションになっていていいというのもあったのだろうけど、戦争になったのだから困ったというのが実情なのだろう。

能登半島地震の復興支援へ1389億円の税金がかかるということ、ガザの病院敷地内から200人の遺体が出てきたということ、米利下げは市場暴落シグナル「ブラックスワン」ファンドが指摘、不倫で大問題だった広末涼子が爽やか最新ショットで復活をアピールしていることが、本日のyahoo newsの話題である。

色々と、このご時世の話題を書き殴ってみたが、私には、あらゆるものの値段が高くなっていく現状に辟易しているぐらいで、日常は何も変わらない。遠い世界の人を考えても、日々の仕事における役割を守って、週に一度美味しいものを食べてを繰り返して生きていくだけで精一杯である。

自宅前の太陽を求めてピンと張った活きのいい葉を目にした。日々、鮮魚を目にして働いているが、神の創造した葉一つにも、偉大な神の働きを感じる。この葉に惹かれ、私は、すぐさま、yahoo知恵袋に質問をした。隣の生垣に目を移すと、白い炎のようにふわっと意味ありげに存在している花がある。これも、写真を撮り、同じく質問をした。

花の名称の答えはすぐにでた。つつじである。地下から根を通じて養分を吸って自発的に呼吸をして、これだけ精巧な花を咲かせている。つつじが丘駅が京王線にあるけれど、駅から見える光景は、東京郊外でひかえめだけど華やかな印象をもっていた。花言葉が、慎み、節度、節制、自制心、努力というもので、どこかおしとやかな印象がある花の名前にあった街づくりをしてきた思いが、私の心の琴線に触れるのかもしれぬ。

風早(かぜはや)の美保(みほ)の浦廻(うらみ)の白(しら)つつじ見れどもさぶし亡(な)き人思へば
訳(風早の美保の浦の白つつじを見ても楽しめないことだなあ。亡くなった人を思うと…)

この詩が出来た経緯↓
姫島の松原で行き倒れになっていた娘子に「風早の美保の浦の白つつじを見ても楽しめないことだなあ。亡くなった人を思うと…」と詠い掛けて、その死を悲しみ悼んだ挽歌となっています。
万葉の時代、死は穢れであり死者のいる場所にはその怨念が居ついて人々に災いを為すと信じられていました。
それゆえに、このように旅の途上で行き倒れの死者に出会った時には、自らに災いが振り掛からないようにかならずその死者の魂をなぐさめる挽歌を奉げてから通りました。
この歌が風早の美保の浦で詠まれたものであるのなら、よく似た景色の中で姫島の松原の死者の無念を思い出してふたたび鎮魂の歌を奉げたといったところでしょうか。

姫島の松原とされた場所↓

万葉集の時代には、死者には怨念がとりついていて人々に災いをもたらすと信じられていたというから、やはりわからないものを恐れる心理は、我々現代にも通底していて、死の側から今をみることができれば、きっと世界中の人達が戦争のは馬鹿らしいと理解できるはずなのに、知るよしもない。この詩を音読してみると、昔の人は、言葉を今の数倍も大切に扱っているなぁと感心する。言霊があるなぁと思う。私はブログで沢山書きなぐってきたけど、魂はあっただろうかと自問自答せざるをえない。

不思議だなぁ。自宅前にツツジを目にしたところから、ググり続けると、万葉の頃に生きていた人の魂に触れることになるなんて……。魂はあるかないか? あるに決まっているじゃないか! ツツジを見て、愛をささやいたこともあっただろうし、私が幼い頃に、おさなじみとツツジの花にとまる蝶々をつかまえるために遊んだことがあった。その女性とは、29歳の時に、私が一方的にハガキを送りつけ、デートにこぎつけて、結果、お付き合いすることにまで発展したのに、別れてしまった。理由は、私の一方的なわがままによる。

葉の名称を質問していて、たった今、回答がきた。キンモクセイである。9月~10月にオレンジ色の花をつけるそうだ。樹高が5~6メートルで、花の香りが名高いそうだ。秋の代表的な植物のひとつらしく、造園業の人が、マンションの前に植える木として、秋の訪れを感じさせるこの木を選んだのだろう。会議で話している人がいたのだろう。その気持ちに気づかずにいた。近くにあるものでも、配慮に気づかない人間の浅ましさが、私にも多分にある。もっと勉強して、人よりも多くの心を知ることができるようになりたい。しかし、職場の人達は、現場労働者なので、基本的に無学である。より浅ましい人達に見えてきて、話が合わなくなるのではないかと不安になった。

キンモクセイは、低血圧の改善、不眠症、健胃作用、口臭を予防が期待できるそうだ。身近な医学もここにある。キンモクセイの橙色の濃い花は香りが強く、行きは秋の香りを胸一杯に吸い込んで1日頑張り、帰りはほのかに漂う甘い香りに癒されてみてはいかがですかと、日本薬学会が進めている。職場に、腋臭の人、加齢臭の人もいる。普遍的人間性を頼りに、より良い社会をすすめていくことが、ダイバーシティなのか疑問はつきないけれど、私が、多数派であることを祈って、秋口になったら、キンモクセイの花の芳香を、心おきなく胸一杯に吸い込んでやろうと思う。

月を見つけて、焼肉味ん味んで食べてわかること!

仕事を終えて、夜空を見上げると、お月さまが煌々と輝いていた。何度見たのかわからないほど、見慣れた光景である。すぐ頭に浮かんだのは、数年前に骨折をして、仕事もできず、夜中に、自宅近くを散歩していた時に、夜空を見上げると、同じく、満月であった。以前は、ピッカピカの満月、今日は、おぼろな満月である。骨折していた頃の月と比べると、今日は、五体満足で、身体も別段悪いところがないから、幸福感が湧いてくる。

焼肉味ん味んという焼肉屋が、八王子の各地にある。注文すると、どれもボリュームがあって、肉質も値段の割にまぁまぁいい。ホルモン系が売りの店だったというのもあって、牛ホルモンは実にうまい。プロ野球のない毎週月曜日は、休みの前日というのもあって、外食で、我ながらプチ贅沢なるものをしてきた。この頃は、スシローばかりになっていたけど、今日は、久しぶりに、焼肉にした。体重計にのると、この頃、基準体重より、2kgほど少ないから、肉を食べて、少し太ろうと考えた。

隣には、4人家族で、30代に入るか入らないかぐらいの女性と赤ちゃん、50歳ぐらいの男性、高校生ぐらいの男性が1人であった。父親が再婚したということだろうか。高校生ぐらいの男性が、どこか浮いているようで、1人邪魔になっている気がするのかもしれぬ。挙動が少し不審である。女性は、目を大きくして、彼と応対している。ちょっと困っているといった感じだ。その一家?が帰る時、女性が、抱いている赤ちゃんに、元気かなと、赤ちゃん言葉で問いかけている。赤ちゃんは、顔が笑顔になっているようにも見えた。この頃から、愛情を注いで育てているものなのだと今さらながら驚く。私の記憶の無い中で、愛情豊かに接してくれたのだろうということが、頭に浮かんでくるような気がする。

それも、数年前に見上げた満月や、今宵見たおぼろ月夜のように、いつもあるようでなく、いつもないようであるものに思えるからだろう。その後に、隣の席に入ってきたグループは、40代ぐらいの無理に若作りした男女と、職場の同僚だろうか、きちっと背広で決めた爽やかで顔をした普通の男性である。どうやらカップルではないらしい。話し方に距離があるし、メニュー表を、女性が手にして、勝手に注文する勢いだ。あまり仲が良さそうに見えなかったけれど、注文もスムーズにまとまり、手慣れた印象を受ける。職場の同僚だろうか? と思い浮かぶのは、仏頂面でありながら連携がとれているなあという感想からくるものである。

焼肉が焼きあがるたびに、特性ダレにつけて、口に流し込む。脂が多いほどではないが、ぷりぷりして厚みのある身肉がたまらない。噛むとじゅわぁっと旨味が、口もとに拡がっていく。いつも、混雑している店内も、空席がちらほらだ。外食でも、雨が降ると客数減になるのは変わらない。来週の月曜日は、果たして何を食べにいけばいい!

フードワンでオペラ歌手の生き様に出会う!桜の花びらのように!

毎日、ブログを書くことを自分に課していたが、自分の経験を書かないといけないと思うようになった。知識なんて、どこにでも書かれているものだから、行動により得た何かを伝えること、その内容に価値を感じてもらわねば、ツイッターのリプライ機能の方が、数倍面白いことになる。日記ブログではダメだというけれど、実感が常識を突き破るぐらいのものになれば、大切な時間を割いて、目を通してくれている方へのご恩返しになると考えることにした。

今日、仕事終わりに、フードワンのスーパーマーケットに立ち寄ることにした。自動車のフロントガラスに、桜の花びらが1枚とまった。薄紅色が綺麗で、内側が濃くて、外側にいくほど薄くなっている。レンゲショウマの花びらに薄紅をひいたように儚い。青梅の桜並木で、1枚の花びらを、見つめていた老婆は、今頃、天国にいるだろうけど、その魂は、どこにいったのかと脳裏にひらめく。この記憶は、いったいどこからきて、どこにいくのだろう。

何度も美しさを写真におさめようとしたけど、花びらを感知しないのか、鮮明になるのは、向かい側になる自動車と、スーパーの文字ばかりだ。三島由紀夫の『鏡子の家』に書かれていた、童貞の画家が、精神が危機的になり、ニヒリズムの沼に落ち込みそうになった時、救いだしてくれたのは、1本の水仙の花であった。その描写が浮かんできて、無性に読みたくなった。

すべてが虚無に属する物事は、ああも思われこうも思われるという、心象のたよりなさによって世界が動揺する、その只中に現われるものではないだろうか。僕の目が水仙を見、これが疑いもなく一茎の水仙であり、見る僕と見られる水仙とが、堅固な一つの世界に属していると感じられる、これこそ現実の特徴ではないだろうか。するとこの水仙の花は、正しく現実の花なのではないか。
 そう考えた僕は、一瞬言おうようない気味のわるさにかられて、花を寝床の上に放り出そうとしたぐらいだ。僕にはその花が急に生きているように感じられたのである。

夕食を買いに、フードワンに入る。海鮮丼を買ってみた。夕方作り立てということで、鮮度がとてもいい。美味しかった。キリンビールを売るのに、今田美桜の等身大のパネル。これも桜のように美しい。

そして、極めつけは、ビーフシャリアビンステーキである。これは、美味しい。身がやわらかく、玉ねぎとトウモロコシが、甘味を香ばしくする。

wikipedia シャリアビンステーキとは↓
当時歯痛もしくは入れ歯の不具合に悩まされていたシャリアピンの、柔らかいステーキが食べたいという要望に応えて、帝国ホテル「ニューグリル」の料理長だった筒井福夫により考案された[1]。
肉を柔らかくするためによく叩いて薄くした牛肉をタマネギのみじん切りに漬け込む料理法が特徴である。タマネギに含まれるタンパク質分解酵素の作用で肉が柔らかくなるとされている。筒井はタマネギを使用する調理法の発想を、すき焼きから得たという説もある[3]。

スーパーで買い物するだけで、これだけの感動があった。今日のわかったブログというのが、一時期流行っていたけれど、本日も、たった数分だけでも、これだけのわかったが、世の中にあることがわかった。明日は、どんな感動と、どんなわかったがあるだろう。It Gets Better(イット・ゲッツ・ベター)

朝礼で従業員の理想を唱和する意味を、考えたのは、今から92年前のことなんだ!

yahoo news smartnews newspicks、他、古今東西の本を開いても、皆同じことあかり言っているように思えてきて、何かわからなくなってきている。すべてが表面を変えることに過ぎず、難しい科学式を用いてロケットが出来て、人類が月や火星だけでなく、太陽系を超えて、人類の世界を拡張できたとしても、人の心の奥深くに眠るものは、容易で解決できそうにない。私の悩みは、社会をより良いものに変えよう、みんなでいい生活をしようという明るい企業家精神のあるものではなく、人間の心の奥深くにある深淵を覗きたい願望からきている。

MBA必読書50冊の中に出てくる幸之助論の中で、松下幸之助は、奈良の天理教の施設に入った時、みんながお金をもらうわけでないのに、イキイキと働いているのを見て、ピンときたとあった。お金以外に、社会貢献がしたい、よりよく人のためになる生き方がしたいというように、スピリチュアルなものを人間はもっていて、そういう気持ちで働けるような職場環境にしていかなければいけないと考えたそうだ。

それから幸之助は、毎朝、従業員に、遵奉すべき精神をまとめ、唱和させた。
「人は時に弱い本性の奴隷になるが、高い目標を掲げ毎日考えれば、人は一歩一歩それに近づき、より良い、より幸福な人間になれる」
7つの精神というものを考えた。
1、産業報国の精神 質の高い製品とサービスを適正価格で提供し、社会全体の富と幸福に寄与
2、公明正大の精神 公正と誠実を旨とし、常に先入観のない公平な判断を心がける
3、和親一致の精神 相互信頼と個人の自主性を尊重し、共通目的を実現する能力と決断力を涵養する
4、力闘向上の精神 逆行でも企業と個人の能力を向上、永続的な平和と繁栄を実現する企業使命を達成すべく努力する
5、礼節謙譲の精神 常に礼儀正しく謙虚であることを心がけ、他人の権利と要求を尊重することで環境を豊かにし、社    
         会秩序を守る
6、順応同化の精神 自然の摂理に従い、常に変転する環境条件に合わせて思想と行動を律し、あらゆる努力で徐々に、     
         着実な進歩と成功を収める
7、感謝報恩の精神 受けた恵みや親切には永遠の感謝の気持ちを持ち続け、安らかな喜びと活力をもって暮らし、真の   
         幸福の追求の過程で出会ういかなる困難をも克服する。

これを、もっと話しやすい内容にして唱和させたのかどうかはしらないけれど、スーパーで働いていると、いかに大切かが理解できる。放っておくと、近くのものを悪くばかり言うようになり、被害者意識にこりかたまり、自分勝手に行動しようとする。松下電器ほどの社員になると、レベルが高いというものあるけれど、スーパーは、何もスクリーミングされずに、沢山の人がスクリーミングされずに入社してくるので、この習慣は徹底するべきだなと感心した。

米国で企業価値宣言を初めて書いたのは、ジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条」で、1940年代だから、幸之助は10年先んじていた。我が信条における内容は、ざっくり言って4点ある。第一に顧客に対する責任をおき、第二に従業員への責任、そして第三に地域社会に対する責任においている。そう考えると、朝礼で唱和している内容は、世界中、どこもあまり変わらないのだなと思える。

冒頭でお話した、何をみても、何に触れても、似たようなもので、ある特定の専門書を読んで、専門家になれば、変わるものかなと考えたり、職業に特化した本を極めるばかりに論文を出すぐらいやれば、視野が開けてくるのか、この歳で東大入試に受かるほど勉強して、脳を過度に刺激すれば、私の頭は、何か変わるのだろうか。スマホ片手に世界とつながる情報化社会、知識社会に生きていると、行動力ですべてが決まってくるともいえる。ただ行動あるのみなのか。

小説家になりたいから、仕事をやめて、小説を書きまくるとか、海辺で釣りをした人が、それを捌いてあげる仕事とか、考えた、即実行していたら、ホームレスになりそうだ。AIが出てきてから、小説も、近い将来、AIに抜かれるだろうなとも思える。すべての大脳における知的能力は、AIの独壇場になるんだろうなというのはわかる。

それにしても、スーパーを含めた小売事業は、発注にかかる時間がやたら多い。レギュラーの発注なんか、今すぐにAIに置き換えられるだろうし、いずれは、売場にAIカメラがついて、売上単品データ等のPOS情報もよみこみ、すべてAIがやることになるのは確実なのに、いつになったら、現実に、そのような環境になるのだろう。小売業のシンギュラリティ―はいつになるのか? 10年以内に、一般企業に導入できるぐらいになるのかしら……

時代を先取る起業の精神!孫正義とジョブズ!

最近、孫正義の実像に関する記事に触れる機会が多くなった。私が起業したいと夢を見て、アントレプレナーベンチャー、スタートアップといったことに興味を持ち、gogleで検索する機会が多くなって、レコメンド機能が働いているというのがあるからだろう。ニュースアプリに表示されるニュースが、自分に興味ある比率が増えてくる構図は、まるで、ネットの世界が、意識の延長、大脳の延長作用が生じている気分だ。

中卒で働いていた近藤氏は、孫正義から突然電話がきて、会いたいという連絡がきたそうだ。当時から世界の孫正義という絶大な名声を誇っていたから、驚いたそうだ。彼の言うところによると、「最初はみんな孫正義のあのスケールと、あの志と、あのトークにやられるんです。それで惚れこむわけです。さらにこれで俺の人生が変わると勘違いしちゃうんです。」

それでも、結果が出ないと、バッサバッサと切られていくという。1番には優しいけど、2番手以降の人は大変であった。孫正義という人間は、アナログの心を持ったデジタル人間で、要するに左脳も右脳もよく働く。数字に強いのと同時に、お茶目な部分がある。そこがサン正義の魅力であるけれど、あれほど、人に対してドライな判断はできないと話している。

営業の仕事もそうだけど、クリエイティブな仕事はもっと、その人の能力次第であって、つかえない人は切っていくというのは納得である。圧倒的ナンバー1でなければ意味がないというほどの孫正義の行ってきた仕事のほとんどは、投資なのであって、スマホで有名であるけれど、それも、ジョブズに直談判して、日本における独占販売を交渉しに、孫が渡米し、ネット通信の地盤があればという条件付で帰国した際のやり取りである。↓

近藤 孫さんが日本テレコムを買収した2004年当時のことです。それがいまいちうまくいってなかった。Yahoo! BBはある程度軌道に乗っていたので、今度は買収した日本テレコムのサービスを普及させるために僕にネクシーズをもっと拡大しろと言ってきたわけですよ。営業力があるから。僕は孫さんにこう言いました。孫さんは、人を切れるけど、僕は切れないと。もしYahoo! BBの拡販が終わったら、僕は社員を食わしていく仕事がないと。孫さんは、「近藤君、君は信じる力が足らん」と。「これからもっとすごいことなっていくんだ」と言われた。

 井上 先ほど言ったように、孫さんは人を切らないですけどね。孫さんから「信じる力が足らん」と言われた?

 近藤 そうです。それでアルバイトを中心に人を増やしたんですよ、正社員では怖いから。従業員が5000人ぐらいまで増えたんですね。ところが、日本テレコムがダメになって、孫さんが「近藤君、縮小だ」というわけです。それで僕はキレたわけですよ。ふざけんといてくださいと。

 井上 正確には、日本テレコム関連事業がですね。「ふざけんといてください」と孫さんに言ったんですか?

 近藤 言いました。そこで「何を言っちゃってんですか」みたいな話になったわけです。めっちゃ腹立ってて、「僕も切り捨てられるんだ」みたいなのがあって、それで僕はNTTに行ったんです。NTTのお偉いさんに会って、僕はもしかしたらソフトバンクから離れる可能性があると。そのときは、NTTは僕の営業力を必要としますかという話をした。

 井上 すごいですね。

 近藤 それぐらい腹立ってたんです。だけど本音では、孫さんに「近藤がヤバいぞ」と思わせたかったんですよ。

 井上 なるほどね。

 近藤 僕もNTTとは組みたくないですよ。

 井上 一つ勝負に出たんですね。

 近藤 そしたら孫さんから連絡がきて、「待て、何を血迷っとるんだ」と。

 井上 おもしろいですね。


このやり取りの中で、当時の孫正義が放った、これからもっと凄いことになっていくんだという一言は、恐ろしい。iphoneの独占販売を行うために、部下の学歴も気にせず、必死に動いている孫がそこにいる。早く、この通信網を達成しないと、ジョブズから販売の承諾が得られないから焦っていたのだろう。バッサバッサ切っていくというのは、まるで未来の見えるジョブズと同じだ。

織田信長がドライに政策を推し進めていって、天下統一したように、上に立つものは、アナログとデジタルの2つがすぐれていて、人を切るだけの非情さを持ち合わせていないといけないのだろう。高校野球で常勝軍団といわれた常総学院野球部の木内幸男監督は、勝つために、何がベストかを考えて、選手のメンバーを決めることを徹底していた。情にとらわれると勝てないと、そればかりを口にしていた。
 
スポーツは、勝敗がはっきりしているから、ひと昔前の中日黄金期を築いた落合監督の采配も、完全試合を前にピッチャーを抑えに変えたり、優勝した翌年に、多くの選手を首にしたり、大ナタを振るっていた。カルロスゴーンも同じく、大胆なリストラを敢行し、日産を再び軌道に乗せた。日本国に貢献したと2004年に、国から紫綬褒章を受けている。やはり、金を合法的に稼げば、人格なんか関係ないものだ。

下記には、安部首相が、中東に商売の種をまくべく行動した軌跡が、ツイッターの写真でみつかった。欧米が商売できない中東で、唯一といっていいほど商売できる日本のために、一生懸命、種をまいた自民党が、今回の、イスラエルパレスチナ問題で、立場を鮮明にできないのは、至極、当たり前のことなんだ。

人の意識を不老不死にできる未来は、間違いなく訪れる!宮沢賢治は、それに気づいていた!

堀江貴文氏が、以下の記事を投稿していた。彼は、自他共に求める情報ジャンキーということで、情報への真摯な姿勢は、素晴らしいものがある。炎上させる発言をして、注目を浴びるやり口が好きではないが、そうでもしていなければ、忘れ去られる厳しい世界にいるのであろう。

 

彼は、知識をいかにお金に変えられるかという視点に長けているし、実際、話が日常生活に富んだものになるので楽しい。違和感を覚えるのは、頭の良さというものが、万能であると言わんばかりの思い上がり、無知の知を知らない姿は、頭が悪い人にも思えてくるから、よくわからない人だ。

 

劇画や中間小説が好きなタイプで、人間認識が弱いとも思える。話の中で、人間の行動の心理を述べる際の幼稚さは、少し気になっている。前は、尖閣諸島を中国に譲り渡して、お金でやりとりすればいいとテレビ番組で述べたことがある。これは、人間が、どれだけ業が強く、救いがたい存在であり、心の奥底に凶悪なものが誰しもうごめいていることへの理解がみじんもない。あきれるほど、無邪気な男で、経営者が務まらなくなったのもわからなくない。

 

堀江貴文をディスっていても、彼は、こんなブログを歯牙にもかけないだろう。今回は、彼が先日発表した記事が、面白くて、ここに掲載する。

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堀江貴文の記事↓

先日対談した東京大学大学院工学系研究科准教授の渡辺正峰さんが「人の意識を機械に移植する可能性」に関して興味深い話を聞かせてくれた。渡辺さんは、意識のアップロードともいえるような研究をしている。

渡辺さんの話を簡単に要約すると、右脳と左脳を分けたうえで、あらためて左右の脳を連結させる脳梁(のうりょう)にBMI(ブレイン・マシン・インタフェース)を入れる。そこで左右の脳が一つの意識を持つことを確認する。

その後、片方の脳を機械の脳半球に変え、BMIで左右をつなぎ、時間をかけて意識を一体化させていく。記憶についても、長くつないでおけば、もともとの脳半球から機械の脳半球に記憶が移動していくと考えることができるそうだ。

これが実現できれば、いずれ自身の脳が死亡した時にも、機械の脳は意識を持って存在している可能性があり、不老不死の初期モデルができるかもしれない。不老不死とまではいわなくても、脳梗塞で脳に障がいを負ったような人の治療法の一つとなるかもしれない。

渡辺さんは、そもそも「意識を持っているかどうか」を検証する方法を見つけるためにこのような研究をはじめたそうだ。あと10年もすれば猿で実験する目途も立つそうだが、今後が楽しみである。

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人の意識を機械に移すことができれば、愛する人の肉体が滅んでも、話し相手をつとめてくれるようになる。思い出話をしたら、本人と全く同じ声で、同じように話してくれたら、嬉しくもなる。猿で実験とあって、多くの猿を犠牲に供することになるそうで、楽しみだというのは、サイコパスの言動に聞こえるが、私も最高の知の先に、いったい何が見えるのかという興味は、飽きることなく、私の中に木霊している。

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最近では、「脳は少々手が込んだ電気回路に過ぎない。電気回路としての脳の働きを機械上で再現すれば、そこに意識が宿るに違いないと多くの神経科学者は考えている」この話は、ただのSF小説ではなく、アカデミズムにおいては常識なのだ。この問題について、宮沢賢治は、春と修羅の序文で、今のような脳科学の言葉もなく、AIの用語もない中で、このことを言葉に置き換えて伝えようとする努力の跡がある。やはり、彼は天才であった。いかにも、修身教科書的な扱いで辟易し、かえって、社会人になると読まなくなるという傾向があるけれど、詩作品だけでも、アカデミズムに、立派に評価されるものなのである。

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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

 

     大正十三年一月廿日

 

人間はDNAのらせん型のゲノムに支配されている。過渡的な生き物であることは確かであるけれど、今後、もの凄い勢いで世の中が進んでいくだろう。今まで、何世紀もかけて歩んできた道の数百倍の速さでことが進んでいくことが予想される。私は、もう生きることのない100年後の世界を見てみたい。それは、日本人としてみるのは、怖いことだ。このままでは、4等国になっているような気もする。日本という国名もないかもしれない。

 

人間は人間に絶対に服従しないから、イランのミサイルが、イスラエルの夜空に煌めいたように、核の雨が、地球を覆い、絶滅をきたすのは、間違いないと思う。ひとりひとりが、自分だけ良ければいいというカルマを抱き、それが60億人もいる。地球を何回もぶち壊すだけの兵器を人間は手にした。これを使わないなんてことは、ありえるはずがない。100年後、地球は残っているだろうか?

 

5万円払って受けている小説家養成通信講座の第2課題の添削が返ってきた!

第2課題↓
www.xn--fhq32lm4eoko24c48b.com

応用編の課題『昔話の結末を書き換えよう(原稿用紙 3 枚)』を、お送りいただきありがとうございます。nyoraikunさんの作品『ヘンゼルとグレーテル』を拝読いたしました。展開の意外さとブラックさがやわらかな文章で書かれていて、かえって恐怖が増していました。人間の心の深淵を抉るタイプの恐怖は、やわらかな文章で書くほうが効果的だというのを、nyoraikunさんは無意識に心得ていたのでしょう。これも才能の一種だと思います。

第 1 回の課題と同様に、nyoraikunさんの文章もアイデアもとてもいいのですが、細かな設定や状況が書かれていないのが残念でした。既存の『ヘンゼルとグレーテル』は皆が知っている童話なので、今さら説明せずとも誰もがあらすじを知っています。しかし第 1 回の時にお伝えしたように「書き換える」というのはつまり、nyoraikunさん独自の『ヘンゼルとグレーテル』にするということです。なので、読者はnyoraikunさんの『ヘンゼルとグレーテル』を初めて読むわけです。つまり設定や状況をさりげなく説明する必要があります。原稿用紙 3 枚でこれをやるのはなかなか厳しいのですが、さりげなく、でいいので冒頭で説明を加えるといいと思います(ヘンゼルとグレーテルの兄妹はなぜ森をさまよっているのか、という点ですね)。

特に今作の 1 行目「ひとのいいカモはそのとおりにしてくれました。」というのはかなり唐突で、読者にはわかりにくいのです。「ひとのいいカモ」とは人間のことなのか(あまりいい表現ではありませんが、他人様のことをカモと言う場合もありますよね)、それとも鴨のことなのか、「そのとおり」の「その」は何を指すのか、1 行目にこの一文がきてしまうと、読者には何のことかわからなくなってしまうのです。小説の冒頭はかなり大切です。

1 行目で読み捨てる読者もいますので(厳しいですが、これが現実です)、特に注意してください。
とはいえ、今作はうまくまとめられていると思います。ブラックなりの「めでたしめでたし」な結末で、教訓が含まれた童話としても完成度は高いです。ただ、前述したようになぜヘンゼルとグレーテルがこのような状況下にあるのか、という事情が抜け落ちているので(既存の『ヘンゼルとグレーテル』を知っていたとしても)、どうしても臨場感が足りない
のです。ラスト、「ヘンゼルが前かけをゆすると…」とありますが、ヘンゼルは前かけをしていたんですね。一般的に前かけをするのは女性(女の子)というイメージですが、ヘンゼルは男の子です。いいえ、男の子が前かけをしてもいいのですが、ここでいきなり前かけが登場するのが唐突だと申し上げているのです。

冒頭そしてラスト、読者にとって唐突だという箇所がふたつ出てきました。作者であるnyoraikunさんにとっては何が唐突なのか、もしかしたら疑問に思うかもしれません。しかしこういった読者と作者の意思疎通がうまくいかない事象はよく起こるのです。作者は当然、小説の世界をすべて把握していますが、読者はまったく把握していません。小説は漫画や映画やテレビドラマのように、わかりやすい絵や映像がないのです。

文章だけで情景を想像できるように、読者を導かねばならないのです。これを解決するには推敲を重ねるしかないのですが、ただ漠然と推敲するのではなく、一度書き上げたら 1 週間なり 10 日寝かせて、まっさらな目で読んでみる、というのを繰り返してみてください。読者の立場で読めるようになると思います。
第 3 回の課題も楽しみにしております

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ